第15登城 観音寺城(2024.4/20日本名城52・滋賀県)

さて安土城観光後、電動自転車にまたがり

観音寺城ダブルヘッダー

 

 

ここも城趾です、そしてここは安土城登城後では

本当にきつかった。。

 

 

 

軽快に走ります、自転車楽しい🎶

 

 

 

駐輪場に止めたが観音寺城はいろんな行き方があるようで桑實寺から登った。

 

 

 

もう今日はひたすら石垣ロードなんだな😰

 

 

 

安土城登城の際、他の観光客が竹杖使ってたので観音寺城では私も使わせていただきます。

転ばぬ先の杖っすね

 

 

 

桑實寺から入山すると有料(300円)です

回り込むコースよりこちらのほうが近いと思ったけど有料だったのか。。リサーチ不足。

せっかくだからと思って本堂見ようか。。

いや、この先がまだまだ長いの知ってたので行かなかった、行く余裕がなかった。

ちなみに桑實寺は室町時代には足利義晴将軍が仮幕府を開いた場所でもあり、本堂は室町時代前期の建物で国の重要文化財のようでした。

 

 

 

ここからはヤブ蚊ら虫との戦いです。。

 

 

 

めちゃくちゃヤブ蚊飛んでるー。

にも関わらず、途中で帰りの観光客が

石段に座り弁当食ってた。

すれ違い様に、『すみません』って言われたけどいや、すごいっすねお宅さん!て感じでしたよ❗

 

 

 

天守まで十丁あるうちの六丁

中腹らへんかー。。

 

 

 

枝が倒れかかって道を塞いでますが

くぐる、避けるで登城していく

ここからは道も沢ですね

 

 

 

八丁を通過

8割ってなるともうすぐだから気持ち持ち直しますね

 

 

 

ほんと竹杖、助かってます

中型の猪とかまでなら応戦できるかも?

 

 

 

ようやく到着したっぽいね

いや〜疲れた。。。

 

 

 

観音寺城室町時代初期に築かれた山城。

当初は砦程度の規模でしたが、六角義賢が城主となってから、山中の随所に曲輪を配した巨大な城郭に進化、さっき行った安土城に先駆けて総石垣を実現していた城らしい。

しかし1568年、義昭を奉じて上洛(京都)を目指す織田信長の前(南近江)にあったのが運命。

通過させてくれと信長が頼んだけど六角は拒否

大河『利家とまつ』の信長役の反町のように

『で、あるか』、ならもう武力解決しないわ。

 

信長はここで観音寺城ではなくその奥にある箕作城を秀吉や丹羽長秀らに夜襲をかけさせ落城させます。それを聞いた六角義賢は城を枕にすることもせず、とっとと城をおいて逃亡します(私が通過した甲賀に)。

 

信長の野望でも六角家プレイはやったことなく早世の天才武将、蒲生氏郷元服時から獲得するために六角家家臣の氏郷の父(蒲生賢秀)を獲得(まさに正史通りの信長と同じように)して六角家サヨウナラだもんな〜。

 

 

十丁です、こちらこそありがとうございました。

 

 

観音寺城の石垣

 

 

これ、井戸跡がしれっとあったのですが何だったのだろうか、夜は怖すぎまっせ。

 

 

さぁ下りていくよ

 

 

 

桑實寺の受付の横にあった

清めの冷水で、行きの時は腕と手を洗っただけでしたが、帰りは頭からかぶりました。

めちゃくちゃ気持ちいい。

 

 

 

私の自転車しかずっとなかったぽいね

安土城に比べて険しい山城趾の観音寺城は本当に観光客が少なかった。

 

 

 

柔軟やってサイクリング

安土城観音寺城の登城は本当にきつかった。

でもまだ15時半ぐらいでこのまま自転車返すのもったいないな〜と思って、よし琵琶湖行こうと思い立ちました。

 

 

 

徒歩なら2時間半ですからね。

今は電動自転車の力借りて、景色でしか見てない琵琶湖に向かいます!

 

 

 

プレッシャー坂を駆け上がる!

 

 

西の湖だか白鳥川とかだったかな

琵琶湖と繋がってます

 

 

 

40分くらいかかって到着

なぜここ選んだかは、なんか名前が縁起良いから

 

 

 

波はないんだよな、湖だから

 

 

 

琵琶湖の水はぬるい、ここで少しだけ足湯した

 

 

 

鳶が喧嘩してました、私の膝は笑ってます

 

 

さて、帰ろう

こういうカーブで歩道ない時、いきなり前から車くるからお互い怖いよね。

左車線走るのもいいけど、私から後方は見えないからすごい至近距離で抜き去られるのも怖いので歩道ない車道走る(歩く)際は右車線にしてます。

 

 

こちらは八幡山城下町あたり、せっかく自転車なので琵琶湖から向かいました。

夕飯はここで!気になってたんですよ。

昨日この店の前の店で近江牛焼肉を食べて、美味かったから、もう1回近江牛食べたくて行きました。

 

 

 

一番人気のあみ焼き御膳(2500円)

赤こんにゃくとか初めて食べる物があり

肉も昨日とは食感も味も違った。

両方美味いけど。ご飯大盛なので最後は自家製焼肉のタレをご飯にかけて完食😛

昼抜きだから余計にがっついた。

 

 

いや〜ほんと足にきた

今日のニ城、石垣MAXには参っちゃったよ。

残40%でした。

まだまだ走れたけどもう疲れたよ自転車返すよ

ありがとうございました。

 

 

 

明日は非常に天候が悪いらしい。

小谷城と鎌刃城

厳しいかなぁ。。

 

 

観音寺城

・スタンプ設置場所

安土城郭資料館

桑實寺←ここスタンプなかったと思います。

観音正寺

石寺楽市会館

・交通アクセス

JR東海道本線「安土」駅から徒歩40分で登城口→「伝本丸跡」まで徒歩約35分

安土駅でもレンタサイクルあります

第14登城 安土城(2024.4/20日本名城51・滋賀県)

城巡りも14城、ここでついに織田信長の名が現れました。関東城巡りでは出てこない人ですからね。

 

 

安土城

日本史上で最初の本格的総石垣の城で、最初の本格的天守を持った城と言われています

今は天下布武の夢の跡。

 

 

 

まずは起床して朝食がうめ〜!からスタート

あんかけ焼きそば大好きだからご飯おかわりよりこちらをおかわりした。

調味料も完備しててこれは4日間とも朝食期待!

 

今日は安土城観音寺城

最寄り駅一緒だがニ城とも離れてる(車なら余裕だが)、近江八幡駅からは一駅、徒歩で片道50分

 

しかしそこからさらに登城含めるとだいぶかかる、平坦な道は楽だが、石段や山道となるとせめて麓までは他になにか、、

 

 

ネット見たら有志たちが利用したレンタサイクルが近江八幡駅にあったのでもうこれしかない。

普通の自転車500円、電動自転車800円で

6時30分〜21時まで使い放題

使い放題と言っても朝から1日中乗り回してたら充電切れますけどね、もうこれしかないっす。

 

 

やべ〜、代々木に住んでた時以来の自転車

約7年ぶりに乗ったけど楽しーぞ!🚲

 

 

まずは安心を買いにスタンプ設置の安土城郭資料館へ行こう。

 

 

この坂、車の往来すごい&歩道なし&私が遅いと車が後ろで徐行のプレッシャー坂だった。

 

 

到着、資料館は安土駅の目の前にありました

 

 

織田信長公像&飛び出し坊

(いずれ岐阜駅の黄金像を撮るためとはいえこれは記念に)

 

 

安土城の巨大な壁画❣❣

 

 

織田桜(ギリギリ散る前か🌸)

 

 

南口、北口とも両方回りいろいろ撮影

 

 

信長自動販売機(安土城郭資料館前)

眼光鋭い、買わないとキレられそう

 

 

 

ここは安土城観音寺城ともにスタンプ押印できます!

ただし入館料払わないと、中に入れないので

スタンプ押印も有料(200円)となります。

なら館内も見ていくかー

 

 

いきなり驚く。

安土城のひな形が、実物の20分の1の大きさで再現されている!

 

 

中は無限城みたいだったんだな

もう城はないから再現ありがたい

5層7階とされる豪華絢爛な天主(天守

 

 

しれっと信長おるわー。

 

 

スタンプ設置場所に信長の野望 新生の

武将ポストカード?があった。

右から

明智光秀

徳川家康

豊臣秀吉

織田信長

斎藤道三

足利義輝

みんなイケメンか渋いおじさんに仕上がってる

 

 

織田信長の南蛮甲冑

 

 

安土・南蛮図屏風風 陶板壁画

 

 

安土山、観音寺山の模型

 

 

2階にはミニチュアが。。

 

 

これはうつけ姿の信長の聖徳寺会見!

この行列を斎藤道三が小屋で見てるというね

大河『麒麟がくる』では、明智光秀長谷川博己)も道三(本木雅弘)に付き添いしてて信長(染谷将太)の顔を知ってる光秀が信長通過したら知らせるため道三の肩を力強くパチン!と叩くシーンあった(笑)

 

 

資料館、狭いけどよかった。

数ある土産物の中で実用性でいくなら安土城のマスクケース買っとくか

 

 

さぁ安土城へ漕ぎまくる

 

 

 

ここが安土城跡か。。登りますなー

 

 

 

1582年、本能寺の変が起き、織田信長は自刃。その後に明智光秀安土城に入城しますが、織田信長の後継者争いとして羽柴秀吉との一大決戦へ臨むため、数日で安土城を発ちます。明智光秀安土城を離れた後、安土城は原因不明の放火によって天守と本丸が焼失。築城からわずか6年。

 

 

弥助って最近になってクローズアップされてきたよね。信長の野望でもゴツい顔で出てくる。

黒人の侍ってだけで受けやすい、モザンビーク

 

 

さぁ登ろう

 

 

スタートからかなり石段が続きます

400段あるみたい

 

 

日本の城は信長が1576年に安土城の築城を開始して以降、石垣のある城が全国に普及したとされる。でも最近、もっと前から石垣を用いた技術があったみたいなニュース出てましたね。

 

 

なんとか天主(天守)跡に着いた

なんで天守ではなく天主なんだろと調べたら

信長の家臣である太田牛一(おおだぎゅういち)が「信長公記」(しんちょうこうき)で「天主」と表記していたのが理由です。とのこと

太田牛一信長の野望に登録されてますわ。

弓三張の一人で弓の使い手だったんよね

 

 

琵琶湖が見えるとのことだが見えなかったな

安土城天守閣から

北野武映画の『首』で信長(加瀬亮)が

光秀(西村和彦)をヘッドロックして怪演したのが思い出される。あの加瀬亮好きだなぁ。

 

 

出口降りたら、休憩所が!

無料のお茶もいただき、一服🚬

 

ちょうど13時過ぎ。これから観音寺城

滋賀旅行、強行軍に昼飯は無理だな。

 

ちなみに安土城でも出口でスタンプ設置されてました安土城の。

安土城郭資料館は薄い青インクで安土城では

もっと濃い青でしたね。

インク量の差か?

 

安土城

・スタンプ設置場所

安土城跡受付(出口側)

安土城天主信長の館

安土城郭資料館

・交通アクセス

琵琶湖線安土駅」から徒歩25分

入山料金 大人700円、小人200円

安土駅でもレンタサイクルあります。

第13登城 八幡山城(2024.4/19続日本名城157・滋賀県)

ロープウェイに乗って行くお城🏯

まず伊賀上野駅から関西本線、JR草津線と2時間、滋賀に戻り南草津駅でコインロッカーからリュック受取り、近江八幡駅(駅すぐのホテル)へ。

チェックインはまだなのでまたリュック預かりだけ。ドラクエの預かり場所みたいでラク

肩の負担もない、仮眠したいけど今日は強行軍なので頑張ろう。

 

 

で、次はホテルの地元、近江八幡山城へ

ここ本丸跡が石碑発見できずだったので

写真は琵琶湖が広がる西の丸跡より

 

 

近江八幡駅から徒歩40分弱

数日間この町にお世話になります

平坦な道は余裕、しかしちょうどお昼時に差し掛かってたので日射しは強くなってきた。

 

 

なんか見えてきた、この城はロープウェイに乗るのか!?(事前調べで知ってるけど一応🌝)

 

 

 

入り口

 

城下町、風情あるなぁ

 

 

広く八幡さまとして親しまれ、近江の守護として湖国の中心に位置する日牟禮八幡宮

 

 

登山ではなくロープウェイで上がるから子供やご年配の観光客も多かった

ロープウェイは15人ほど入ったら満員なので団体客いるとけっこう待ちます。私は一回待ち窓際シートに座りました。

 

 

人生でそう乗らないから童心湧き上がりましたよ、スキー場のリフトみたいでしたが。

 

 

八幡山城を築いたのは殺生関白で有名な豊臣秀次ですね、大河『真田丸』の秀次のおかげで全くそんな印象なく、政治力は皆無だけどむしろ良い人って感じ。側室は半端ないほどいたけど。

 

 

琵琶湖も見えて絶景かな、ただ快晴ならもっとよかったんかな

 

 

出丸跡からの景色も絶景

 

 

どうやらここ?が本丸跡だったみたい。

 

ま〜

腹減ったので帰るか

 

と、思ったらあると記載されてた豊臣秀次の像がなかったので探したけど見つからない。

どうやら八幡山山麓にある八幡公園にいるようだ

 

 

ロープウェイ降りて、銅像はホテルより遠くなるのでここで休憩した。八幡山城でこの像と本丸跡を探し回ってもう疲れてます。

 

 

やっと見つけた。。

秀次は秀吉の姉の子で、後に秀吉の養嗣子となり豊臣姓を受けて関白となる人物。

秀吉に後継者がなかったことから家督を相続したが、後に秀頼が産まれ後継者を巡る争いにより謀反の疑いをかけられ自害させられました。

 

イケメン(ヤリチ・・)ですね

正室のほかに側室33人もいただけある

秀次の切腹の際、その女子供たちは京都三条河原で斬首、根絶やしにされたんですよね

これは北野武映画作品の『首』で謀反を起こした荒木村重の一族が斬首されたシーンを同じく想像されます。この映画の信長(加瀬亮)はイカれてたなぁ(笑)

この秀次切腹連座者には駒姫という15歳の東国一の美少女がいたんですよね。

父は山形城主、最上義光で従兄弟に伊達政宗

かなり理不尽で悲劇的な成り行きにも関わらず残酷な運命を前にしても気丈に振る舞いその死を受け入れた、最上家が関ヶ原で東軍につく最大の理由だったと思います。

気になる方は駒姫調べてみてください。

秀吉になんとか嘆願して駒姫の処刑が取りやめになったにも関わらずギリギリ間に合わなかった悲運も涙を誘います。

 

秀次像撮ったものの居館に行く体力はもうなかったので遅い昼飯にしよう

 

 

八幡堀

 

 

旧伴家住宅

 

 

今年103才の郵便局だって

 

 

やっぱ近江牛すよね、近江牛焼肉弁当

空腹も手伝ってすごい美味しくてビックリした

近江牛コロッケも重厚で美味しかったよ(ご飯大盛無料)近江牛て甘いんすかね。

 

 

 

そしてチェックイン

壁掛けテレビだー。

 

 

で、大浴場一番風呂(一番槍!)

もうこの日は18時には力尽きてました。

 

 

明日から土日、混雑予想されるのでどこ回るか予定立てが難儀である

 

 

八幡山城

・スタンプ設置場所

八幡山城ロープウェー山頂駅窓口

(上りロープウェイ降りてすぐ)

・交通アクセス

琵琶湖線近江八幡駅」下車 徒歩40分

ロープウェイは年中無休でAM9:00~PM5:00

第12登城 伊賀上野城(2024.4/19日本名城47・三重県)

上洛じゃ😀 ついに関東から出て西へ遠出旅行〜

滋賀を拠点に三重とあと京都回れれば!

ホテルが4連泊以上だと割安なので長めの四泊五日の旅になります。

 

で、駅構内滞在30分ほどでいきなり滋賀からの三重❕

 

の前に前夜から。

これから多々、利用することがあるであろうバスタ新宿から18日夜の夜行バスで6時間半、滋賀(南草津)へ。USJ行きのバスだったから若い子がめちゃくちゃ乗ってた

バスタ新宿4階のデイリーヤマザキは前はファミマだったんよねー。大人の事情

 

 

翌19日、早朝5時30分到着。

5日間とも20℃前後、ちょっとこっちは寒いかな。ここからチェックインまでの10時間弱をどうするか前々から思案してまして。

滋賀って京都にも三重にも岐阜にも福井にも行けて悩みどころだと思います。

悩んだ末に選んだのが三重県伊賀市

長くはいられませんが滋賀の旅は伊賀から開始していきます。とりあえず南草津駅のコインロッカーにデカリュックぶちこむ❗

 

 

 

伊賀上野城(別名は白鳳城)

白亜三層の美しい城で、本丸の高石垣は日本一?の高さを誇る

伊賀といえば忍者ですよね

横山光輝の漫画『伊賀の影丸』は親父に借りて20回は読んだと思います。

影丸のライバル、甲賀流の天邪鬼とか仲間では梟の甚内、彦三、源心など忍者の名前も忍法もかっこよかったな〜。天邪鬼なんて斬られても時間経てば生き返りますからね。

影丸の技の木の葉隠れの術も葉に染み込ませた痺れ薬で相手を動けなくさせるというるろうに剣心のようなちょっと優しい不殺の技でした。

最終的には殺しますけど。🌝

この漫画で伊賀は正義(影丸)で甲賀(天邪鬼)は悪って認識になったな、懐かしい。

 

それは置いといて南草津駅から2回乗換で1時間半、天邪鬼の流派である甲賀を降りずに通過(写真のみでご勘弁)して7時46分、伊賀上野駅へ。

 

軽快に案内してくれるなぁ。

伊賀越えの時の家康やん私

伊賀上野城伊賀上野駅が最寄り駅ではなく、ここから伊賀鉄道に乗換えて上野市駅から行くものらしい

ただもう昨夜からずっとバスに電車に乗り物乗ってまして、、、、静脈に血栓出来ぬようここから歩かねばならないので忍者さんごめんなさい、伊賀鉄道は本数なさすぎなのと今、行ってもまだ城の営業時間でないんですよ。なので駅出ます。

 

城は9時営業開始まで上野市駅にも行って駅周辺ウォーキングします。

そのまま城を目指しますがまだ1時間以上あるので上野市駅へ。

道中、服部川って川があった

服部半蔵伊賀忍者ですね

東京の半蔵門の印象強いけどあれは江戸城警護のために居を構えた半蔵の屋敷がゆかりだもんね。

大河『どうする家康』で小田原征伐後、家康は秀吉に国替えを命じられ関東にお引っ越しの際の家臣たちへの領地配分で半蔵(山田孝之)だけが家康に失念されてたかのような雑な扱いされてましたが江戸に屋敷はちゃんとあります。

オチに使い、あそこまで人間味のあった半蔵の時代劇って初ではなかったかな

そういえば伊賀越えって半蔵ら伊賀忍者が案内して家康が大阪から岡崎城まで3日で帰ったというけど凄すぎますよね、大名て馬にしか乗ってない印象あるけど普段訓練してるのか、鷹狩りじゃ健脚にはなれんで。

 

 

伊賀上野駅から上野市駅への道中、城を横目に撮影、すごいな高石垣。これは楽しみだ

 

 

伊賀上野駅から40分ほど歩いて上野市駅到着

さすが最寄り駅はこちらだけあってすごいな、もう駅名変えちゃってるもんね

『忍者市駅』って主張強すぎ。

正式駅名の上野市駅が小さくて曲名の副題のような扱いされてますわ

 

 

松尾芭蕉生誕の地が伊賀市とのこと

伊賀上野駅に句碑があったなー

 

 

なんで銀河鉄道999銅像が?

メーテルを知ってる以外、漫画は見たことないが松本零士は誰でも知ってるわな

調べたらその理由は近くを走る伊賀鉄道の車両ペイントのデザインを松本氏に依頼したことがきっかけとのこと。

じゃー、じゃー、じゃー、

ちょうど伊賀鉄道きたから松本零士デザインの忍者列車撮ったよ♪

 

たしかに上野市駅(いや忍者市駅かな)のほうが気合い入ってんな!

 

 

では本丸大手門跡から入城

気温上がってきてますが、標高高く風があるためちょうど良いです。

伊賀上野城は最初、筒井定次が築城

筒井定次の叔父は大和郡山城主の筒井順慶(大河『麒麟がくる』で駿河太郎松永久秀吉田鋼太郎)との犬猿ぷりを見事なまでに演じてましたね)の養嗣子となり後継ぎでしたが、順慶死後の筒井家は大和郡山奈良県)から国替で伊賀に入ってきました。

筒井家って短命で信長の野望でもみんな早く亡くなるんですよね

また筒井家には島左近という後に石田三成の右腕になる秀吉も惚れた剛将を家臣にしていましたが定次を見限り出奔しています。

最終的には悪性を敷いてる、酒色にふけってるだと指摘され改易されてしまい、江戸幕府開設後

豊臣と内通してると嫌疑をかけられ切腹させられてしまいました。

代わりに伊賀に入ってきたのはあの築城の名手、転職大名の藤堂高虎でまだ豊臣家(大阪城)が存命中、これから始まる戦を想定して伊賀上野城を改築、拡張していきます。

なんか筒井さん、出来レースみたいでかわいそ。

 

まずこれがその高石垣

ケタ外れの圧倒的な高さで足元すくむほどでした。柵もなく立入禁止にしてないけど、落ちてしまう人いるのではないか?忍者でも登れないだろ、高所恐怖症の方はちょっと顔をのぞかせるくらいでいいレベル

 

藤堂高虎以前の筒井家の石垣もこんなにしっかりと残ってる

 

城に入ると

天守にある忍び井戸

大阪城との長期の戦いを想定した家康は不首尾に終わったらここで籠城するため藤堂高虎にここに兵糧や水の確保、また井戸の途中から抜け穴も作り戦局が危うかったら自分を逃がす算段もあったらしい。

この秘密を保持して外に漏洩させないため、忍者を常に監視させた。リスクヘッジに長けて用意周到に準備しておく家康、セキュリティ意識高いですね。そして藤堂高虎の信任の厚さが伺えます。

 

伊賀焼から武具に甲冑、藤堂高虎が使用した物がたくさん残ってて見応えあった。

全てショーケースの展示だけど出来ることなら匂いを嗅ぎたかったくらい。

藤堂高虎とかもう名前からカッコいいもんなぁ。

この人たち、最初掃除してるのかと思った

脚立なしですごいなって。演出ね!

 

ここはわざわざ滋賀から片道2時間かけてきた甲斐あったなー。

やるなぁ伊賀

城の横に伊賀流忍者博物館が併設されていたが対象年齢が若そうだったので行きませんでした。

 

よし、滋賀に戻りますか♪

 

最後にJR草津線で滋賀に帰ってたら

いきなり吉幾三が元気に車内アナウンスしてきた。

どうやら甲賀市観光まちづくり協会観光PR大使らしく3ヶ月ほど吉幾三の特別版車内アナウンスとのこと。実際の車掌の声と録音再生の吉幾三の声のボリューム、活気の差が半端ないほどかけ離れてて毎駅ごとに吉幾三のアナウンスの時は驚く。

 

立ち会えた私はラッキーなのでしょうか

 

 

伊賀上野城

・スタンプ設置場所

天守閣1階

・交通アクセス

関西本線伊賀上野駅」から伊賀鉄道上野市駅」下車、徒歩5分

伊賀上野駅から徒歩33分

 

番外編 牛久大仏(2024.4/15-16観光名所②・茨城県)

茨城観光ラストは牛久大仏。また番外編です。

このために茨城旅行を一泊追加していたのだ。

こいつだけは行かずに帰京できねぇ。

 

水戸城観光から常磐線で牛久へ南下

牛久駅、発車メロディがオーシャンゼリゼ♪だった、良き音色♪

 

まずは牛久市観光アヤメ園へ(この日は水戸城観光しかしてないので+徒歩で往復1時間ほど歩きました)

牛久沼に河童の伝承があるようです

牛久観光協会のマスコットキャラクターはかっぱのキューちゃんらしい(ゆるキャラではない)

展望台からの景色は風が気持ち良い

 

さてホテルへ

 

窓から奴を見たくて高層ビジホの8階に宿泊

ホテルの窓から見える。でかっ!

8キロ離れてるのに大仏の形や向きまでわかる。

 

 

夕飯はそば処ふしみでカツ丼

口コミで一番高かったので注文、美味かった。

柏レイソルの細谷選手や稀勢の里のサインもあった、営業開始時間に行ったけど後からすぐに3組入ってきたし人気店ぽいな、ごちそうさまでした。

 

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翌16日

軽食だが朝食が出た、ありがたや〜

よし、1時間早くホテルチェックアウトして牛久大仏へウォーキング。この120mという立像世界3番目の高さを誇る大仏を歩いて近づきながら徐々に徐々に大仏が迫ってくる感覚を堪能したい。

駅からバスが出てますが片道730円

大仏の拝観料が大仏胎内含む全拝観で800円なので交通費を拝観料に回す意味もあります。

牛久大仏が作られた理由は浄土真宗の開祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん)が、関東での布教の拠点にしたのが茨城県だったからとのこと。

 

この3日間、見事なまでの天気☀だった。

徒歩で8キロ、約2時間

平坦な道のりはだいぶラク

 

マンホールがどれもキューちゃん

 

 

お!頭見えてきたか?

 

 

まだ距離あるけど林道抜けたら完全に見えてきた

 

 

大仏が投手なら二塁ランナーの位置か

 

だいぶリードとってるけど

やはりでけー、ランナー動けないーっ。

 

ヒィー、お背中流しましょうか?

 

 

 

もはやゴジラすよね

天気が良くて風もあるの最強

 

 

三塁、ホームと回り込んで入り口に到着

 

 

平日はこの感じだから良いですよね

これ見ると土日祝はめちゃくちゃ混むんだろうね

GWすごそう。。。

 

 

ここがメインストリートですね

 

桜&芝桜が綺麗だった。

 

真下から。もし右足踏み出してきたらぺしゃんこにされます、ガンツの世界ならあり得そう、まさにドラクエうごくせきぞう

 

では胎内へ

 

ここから大仏の胎内拝観

入館時、タイミング的に私しかいなくて1人で案内され順路を回ることに。贅沢なんだけどたった1人で扉開いたらいきなりの異空間はビビった💦

 

こう比べるとちょっと大きいどころじゃないんだなってのがよくわかる

 

 

どどん波を放ちそうな大仏様の右足親指

 

 

なるほどねぇ〜。製造期間10年

2階はこんな感じ

 

エレベーターに乗って地上85mの展望台、大仏の胸のあたりからの景色

天気良すぎて富士山もスカイツリーも見えん、冬の空気が澄んだ日なら見れたろう。

 

 

奉納された胎内仏を永代供養する黄金の世界

大小の胎内仏が並ぶ空間には圧倒されます

 

 

写経スペース

数ある中でも『行動は言葉より強い』がシンプルでくどくなくて良い。重いでもいいね

ちなみに利根川は『金は命より重い』

カイジたち、この高さ(カイジは地上から74m)で電流鉄骨渡りしてたと思うと震えるね😨

 

 

帰りはバスにしました。

土日祝と違い、平日は本数が1日3本

9時にホテル出て牛久大仏に到着したのが11時前で拝観終えたのが11時50分。

お土産屋やフードコートをダッシュで抜けて12時の牛久駅行バスに乗れた!

これ逃したら次便バス14時30分だもんなぁ、ウォーキングできるけどさ。14時前に池袋駅

明日仕事でまたひとり旅だから今日はもう帰路につくことにした。 

 

 

今回3日間でトータル50キロちょっとでしたね。

 

牛久大仏

・交通アクセス

JR常磐線牛久駅」下車

JR常磐線牛久駅」「東口2番乗り場」から乗車、「牛久大仏牛久浄苑」行きまたは「あみプレミアムアウトレット」行きに乗り、「牛久大仏」停留所下車(約20~30分)

それか徒歩で2時間弱

(ちょうど中間にセブンあり)            

第11登城 水戸城(2024.4/15日本名城14・茨城県)

昨日の疲れもあるので今日は調整の日としよう

水戸城

 

水戸といえば納豆ですね

そして阪神ファンなら2000年代のエース

水戸商出身の井川慶でしょう。

ドラフトで指名されて水戸納豆と一緒に笑顔で写る井川(しかし本人の納豆嫌いはファンにはあまりにも有名)

 

 

水戸駅徒歩10分のみまつアネックスホテルは

非常にコスパ良し、納豆嫌いでなければ

水戸納豆すくい食べ放題の朝食付きで5,000円切りますから。あと当然さすが日曜の宿泊ですね。

いばらきまーす(いただきます)

普通の納豆との違いはわからなかった!

 

 

さて水戸って私のイメージでは

佐竹氏、水戸黄門徳川斉昭慶喜って感じなんですよね。

佐竹氏は常陸を拠点とした戦国史でも北関東屈指の大大名(54万石)

北条氏とは違いさっさと頭を下げたので豊臣政権では所領安堵されるも石田三成と仲良かったため関ヶ原合戦にて『父は東軍につけと言うが、しかし西軍に刃を向けられない』どっちつかずの態度のまま関ヶ原合戦終結

戦後、領地を没収され→秋田へ国替されてしまう。その際、当主佐竹義宣は器量の良い女性をごっそり秋田に引き連れていったため

現在の『秋田美人』に繋がると言われてます。

逆に茨城は残り物、、、って感じでもないでしょうけどね。

 

佐竹氏が出てったあとに入ったのが

徳川頼房(家康の十一男)で御三家・水戸徳川家の始まりとなりました。家康としては東北からの脅威を守るため外様大名は遠くに追いやって肉親を置いておきたくなるもの。

この初代水戸藩主頼房の子で2代藩主徳川光圀

あの水戸黄門様となります、家康の孫にあたります。

徳川光圀大日本史の編さんに着手した人で日本における代表的な修史事業に貢献、その資料集めで家臣達に全国を歴訪させてます。

時代劇では諸国漫遊して悪代官たちを格さん、助さんと共に成敗して旅をするイメージが強いですが藩主が藩を留守に長期で全国を旅することなど出来るわけもないのが現実で光圀は基本的には関東から出たことがないようでした。

しかし格さん、助さんは名前違うけどモデルがいて(後述)実際に側近の家臣で光圀の代わりに諸国を史料集めのために旅をして大日本史の編さんに関わっています。

光圀一代では完成せず広範な史料収集と綿密な史料批判・史実の考証を行い最終的に1906年に完成してます。

 

 

そして時は流れ

水戸藩第9代藩主 徳川斉昭公像

徳川斉昭は徳川15代最後の将軍、慶喜の父ですね、烈公と称されるほど苛烈な性格だったようです、大河の『青天を衝け』で竹中直人慶喜役の草なぎ剛が発した「快なり!」のセリフは印象的。

藩校の弘道館慶喜も学んだ)も前日に観光した偕楽園も斉昭による藩政改革です。

学力や医学、文化教養の発展に勤しんだ名藩主ですね。

しかし時は幕末、黒船来航で激震走る幕府に開国か攘夷か二分するムードの中、斉昭は攘夷論を唱えて大老井伊直弼と対立

井伊は天皇に無許可で勝手に条約を結び、反対派を一気に弾圧する安政の大獄を断行、斉昭は水戸で幽閉されて永蟄居中に亡くなりました。

その間、水戸浪士が桜田門外の変を起こすなどこの先の動乱の導火線を引いた水戸藩

斉昭の腹心、藤田東湖の子らが立ち上げた天狗党攘夷論の過激派で幕府に反乱を起こして敗れ353名も斬首されます。芹沢鴨も元は天狗党の一員で攘夷は攘夷でも佐幕派芹沢鴨天狗党から離れ脱藩して後に新選組へ。

水戸藩や幕府、そして触れてませんが薩長の情勢を見ていた慶喜はこれでもかと幕府と朝廷の板挟みに遭い攘夷論を捨て最後は政権を朝廷に返したのだった。

『青天を衝け』は渋沢栄一が主人公ですが斉昭、慶喜天狗党なども出てきますし水戸学に大きく影響受けているのでちゃんと1から全話見ようと思いました。もうすぐ一万円札にもなりますしね。

 

で!ここからは昨日からの水戸観光写真の連打になります!

水戸納豆記念碑

水戸駅南口、想像以上に栄えてて人がいた。

 

初代水戸藩主 徳川頼房公像

(葉っぱで目線にモザイクかかってます)

 

大日本史の編さんの拠点

彰考館の総裁にして格さんのモデルとなった儒学者安積澹泊

(助さんはわからなかった)

 

幕末の水戸藩学者で斉昭の腹心 藤田東湖

(本当にあちらこちらに銅像がありました)

行かなかったけどダイダラボウ像やはに丸タワーとか茨城ってモニュメント作るの好きな気がするよ。しかもこの2つはでかいし!

 

ただ正直、水戸城はしょぼかったです。

それでも城に詳しい人は見どころを堪能してるみたいですけどね。

個人的にはなんか高校の敷地内にあったり史跡が分散されてて他に観光客いなくてさっさと逃走してしまい黄門様や幕末に話題をすり替えました。

ゲームでは佐竹氏プレイけっこうやるんですけどね。

 

余談ですが、常陸から秋田(出羽)に移った佐竹氏は初代から秋田藩主として続いててその子孫が現在も佐竹家36代目当主や秋田県知事(こちらは分家)など400年以上、秋田で領内統治続けてるっていう地域地盤固まり過ぎててそれって良い半面、悪い面もあるように感じる個人的感想です。

 

 

 

朝食におかわりした水戸納豆カレーが腹にたまってて昼はクレープのみでした。

20年以上前に流行ったマネーの虎で志願者から虎目指した人の店、現在FC展開のロマンドロール(昔はフランスロール)当時は思春期だったのでクレープなど恥ずかしくて食べれるか!と言って食べなかったけれどもおっさんになると何も気にせずベンチで食べれるのですよね。(さすがに原宿クレープは無理、メニューさえ言えない)

 

では、水戸から牛久へ移動します。

さよなら水戸よーへー🏀

 

水戸城

・交通アクセス

JR常磐線 水戸駅から徒歩約8分

・スタンプ設置場所

弘道館料金所窓口

(入館しなくてもスタンプ押せます)

 

 

 

 

 

番外編 偕楽園(2024.4/14観光名所①・茨城県)

今回は日本三名園の一つ、偕楽園

歴史観光するなら城巡りと平行して名所も巡りたく城巡りの合間に記録していきたいと思います。

 

 

梅は枯れてましたけれども。↓なので案内板

偕楽園は江戸時代、水戸藩9代藩主・徳川斉昭(なりあき)によって造園されました。

 

2月、3月の短期間の見ごろシーズン(梅まつり)にのみ開設される臨時駅の偕楽園

今は止まりませんでした。

 

わずかにあった梅

たけのこが出てきてました

2つ城巡りからの観光のため時間があまりなく回りきれませんでした

これはまたいつか、梅の見ごろシーズンに行かないとですね。

偕楽園の隣にある千波湖

むしろもう偕楽園よりこちらがサイクリングやジョギング(一周3キロ)、スワンボートで賑わいを見せてました。

水戸に戻り、〆はラーメン🍜

今日は2城巡りもあり

なんか、いろいろ疲れました。

 

早朝起床、夜熟睡の良き生活習慣

ラーメン食ってるけど。

 

偕楽園

・交通アクセス

偕楽園臨時駅の開設日

2月10日(土)~3月20日(水・祝)の土日祝日

開設時間

9:10~16:35(列車の停車時間は9:17~16:33)

 JR水戸駅徒歩30分