日本全国城巡り🏯

おもしろき こともなき世を おもしろく

第11登城🏯水戸城(2024.4/15日本名城14・茨城県)

昨日の疲れもあるので今日は調整の日としよう

水戸城

 

水戸といえば納豆ですね

そして阪神ファンなら2000年代のエース

水戸商出身の井川慶でしょう。

ドラフトで指名されて水戸納豆と一緒に笑顔で写る井川(しかし本人の納豆嫌いはファンにはあまりにも有名)

 

 

水戸駅徒歩10分のみまつアネックスホテルは

非常にコスパ良し、納豆嫌いでなければ

水戸納豆すくい食べ放題の朝食付きで5,000円切りますから。あと当然さすが日曜の宿泊ですね。

いばらきまーす(いただきます)

普通の納豆との違いはわからなかった!

 

 

さて水戸って私のイメージでは

佐竹氏、水戸黄門徳川斉昭慶喜って感じなんですよね。

佐竹氏は常陸を拠点とした戦国史でも北関東屈指の大大名(54万石)

北条氏とは違いさっさと頭を下げたので豊臣政権では所領安堵されるも石田三成と仲良かったため関ヶ原合戦にて『父は東軍につけと言うが、しかし西軍に刃を向けられない』どっちつかずの態度のまま関ヶ原合戦終結

戦後、領地を没収され→秋田へ国替されてしまう。その際、当主佐竹義宣は器量の良い女性をごっそり秋田に引き連れていったため

現在の『秋田美人』に繋がると言われてます。

逆に茨城は残り物、、、って感じでもないでしょうけどね。

 

佐竹氏が出てったあとに入ったのが

徳川頼房(家康の十一男)で御三家・水戸徳川家の始まりとなりました。家康としては東北からの脅威を守るため外様大名は遠くに追いやって肉親を置いておきたくなるもの。

この初代水戸藩主頼房の子で2代藩主徳川光圀

あの水戸黄門様となります、家康の孫にあたります。

徳川光圀大日本史の編さんに着手した人で日本における代表的な修史事業に貢献、その資料集めで家臣達に全国を歴訪させてます。

時代劇では諸国漫遊して悪代官たちを格さん、助さんと共に成敗して旅をするイメージが強いですが藩主が藩を留守に長期で全国を旅することなど出来るわけもないのが現実で光圀は基本的には関東から出たことがないようでした。

しかし格さん、助さんは名前違うけどモデルがいて(後述)実際に側近の家臣で光圀の代わりに諸国を史料集めのために旅をして大日本史の編さんに関わっています。

光圀一代では完成せず広範な史料収集と綿密な史料批判・史実の考証を行い最終的に1906年に完成してます。

また東京ドームやドームシティがある場所はもともと水戸徳川の江戸屋敷水戸藩の土地)で隣接する小石川後楽園は藩邸の庭園であり、光圀は後楽園の名付け親でもあります。江戸の大名庭園として現存する最古の庭園として今も多くの人々を惹きつけています。

個人的に慣れ親しんだのは庭園よりも遊園地、巨人戦、ボクシング、競馬と自身成長の過程で何度も足を運んだ場所、戦隊ヒーローに憧れたはずが週末馬券を買いに行くようになり、巨人ファンの彼女が出来て猛虎魂捨ててドームのライトスタンドに席を取る。バイト先のプロボクサーの試合もここでした。たくさんの思い出があります。

小石川後楽園も観光した際は番外編として記録する予定です。

 

 

そして時は流れ(私のことではなく!幕末)

水戸藩第9代藩主 徳川斉昭公像

徳川斉昭は徳川15代最後の将軍、慶喜の父ですね、烈公と称されるほど苛烈な性格だったようです、大河の『青天を衝け』で竹中直人慶喜役の草なぎ剛が発した「快なり!」のセリフは印象的。

藩校の弘道館慶喜も学んだ)も前日に観光した偕楽園も斉昭による藩政改革です。

学力や医学、文化教養の発展に勤しんだ名藩主ですね。

しかし時は幕末、黒船来航で激震走る幕府に開国か攘夷か二分するムードの中、斉昭は攘夷論を唱えて大老井伊直弼と対立

井伊は天皇に無許可で勝手に条約を結び、反対派を一気に弾圧する安政の大獄を断行、斉昭は水戸で幽閉されて永蟄居中に亡くなりました。

その間、水戸浪士が桜田門外の変を起こすなどこの先の動乱の導火線を引いた水戸藩

斉昭の腹心、藤田東湖の子らが立ち上げた天狗党攘夷論の過激派で幕府に反乱を起こして敗れ353名も斬首されます。芹沢鴨も元は天狗党の一員で攘夷は攘夷でも佐幕派芹沢鴨天狗党から離れ脱藩して後に新選組へ。

水戸藩や幕府、そして触れてませんが薩長の情勢を見ていた慶喜はこれでもかと幕府と朝廷の板挟みに遭い攘夷論を捨て最後は政権を朝廷に返したのだった。

『青天を衝け』は渋沢栄一が主人公ですが斉昭、慶喜天狗党なども出てきますし水戸学に大きく影響受けているのでちゃんと1から全話見ようと思いました。もうすぐ一万円札にもなりますしね。

 

で!ここからは昨日からの水戸観光写真の連打になります!

水戸納豆記念碑

水戸駅南口、想像以上に栄えてて人がいた。

 

初代水戸藩主 徳川頼房公像

(葉っぱで目線にモザイクかかってます)

 

大日本史の編さんの拠点

彰考館の総裁にして格さんのモデルとなった儒学者安積澹泊

(助さんはわからなかった)

 

幕末の水戸藩学者で斉昭の腹心 藤田東湖

(本当にあちらこちらに銅像がありました)

行かなかったけどダイダラボウ像やはに丸タワーとか茨城ってモニュメント作るの好きな気がするよ。しかもこの2つはでかいし!

 

ただ正直、水戸城はしょぼかったです。

それでも城に詳しい人は見どころを堪能してるみたいですけどね。

個人的にはなんか高校の敷地内にあったり史跡が分散されてて他に観光客いなくてさっさと逃走してしまい黄門様や幕末に話題をすり替えました。

ゲームでは佐竹氏プレイけっこうやるんですけどね。

 

余談ですが、常陸から秋田(出羽)に移った佐竹氏は初代から秋田藩主として続いててその子孫が現在も佐竹家36代目当主や秋田県知事(こちらは分家)など400年以上、秋田で領内統治続けてるっていう地域地盤固まり過ぎててそれって良い半面、悪い面もあるように感じる個人的感想です。

 

 

最後にサッカーチームの水戸ホーリーホックもクラブエンブレムは水戸藩の家紋「三つ葉葵」と龍がモチーフ

これは徳川光圀の字「子龍」に由来する。

以上、徳川一色の水戸でした

 

朝食におかわりした水戸納豆カレーが腹にたまってて昼はクレープのみでした。

20年以上前に流行ったマネーの虎で志願者から虎目指した人の店、現在FC展開のロマンドロール(昔はフランスロール)当時は思春期だったのでクレープなど恥ずかしくて食べれるか!と言って食べなかったけれどもおっさんになると人目も気にせず一人、ベンチで食べれるのですよね。(さすがに原宿クレープは無理、メニューさえ言えない)

 

では、水戸から牛久へ移動します。

さよなら水戸よーへー🏀

 

水戸城

・交通アクセス

JR常磐線 水戸駅から徒歩約8分

・スタンプ設置場所

弘道館料金所窓口

(入館しなくてもスタンプ押せます)