日本全国城巡り🏯

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第35登城🏯会津若松城(2024.7/6日本名城12・福島県)

幕末最後の戦い、戊辰戦争の悲劇の舞台となった会津若松城

別名【鶴ヶ城・黒川城】とも。山形や福島、の地元の人は鶴ヶ城で呼んでます

 

5日目、本日登城は会津若松城

1384年、源頼朝から会津を与えられた佐原義連の直系、葦名(あしな)直盛が黒川の地に東黒川館を置いたことが始まりとされる

葦名氏は会津一円をほぼ支配下に収め、佐竹氏や伊達氏と戦ったが内紛が起こり、それを見逃さなかった伊達政宗が、1589年に会津に侵攻、葦名氏は敗れます。葦名氏は直盛から数えると14代で会津支配を終えることに。(佐原義連から数えると20代、約400年)

1589年5月、会津伊達政宗の領土となったが、さらなる領土拡大のため軍備優先で会津の整備にあまり手をつけることはなかった。また、少し遡り同年1月、豊臣秀吉政宗に上洛を求めており、それを無視しての政宗会津侵攻に秀吉の反感を買うことになる。その後、秀吉の小田原征伐が行われ、ついに政宗は小田原にいた秀吉のもとに参上、服従の意を示す。

1590年、会津城下の興徳寺にて行われた秀吉の奥州仕置により、正宗は岩手山城へ移され、会津の地は、織田信長の娘婿である蒲生氏郷へ与えらることとなる。

 

会津若松城へ行く前に寄りたかったのが

その興徳寺です

蒲生氏郷会津入封後、総構えを持つ会津若松城を築き、会津五街道(白河・米沢・下野・二本松・越後街道)の要路を設置し、会津漆器をはじめ商業にも力を入れ、近江から味噌、醤油、酒造などを持ち込むなど会津若松の基礎を作りました

 

氏郷の遺骨は京都にあるようです、ここには遺髪があります

氏郷の辞世の歌碑

蒲生氏郷公の墓

 

興徳寺から会津若松城は徒歩20分の距離なので城巡りする方は是非ともお立ち寄りしてほしいです

それでは会津若松城

見えてきました、前日の会津本郷へ向かうバスの中からも見えてテンション上がってたんですよね、最強にフィクションですけど漫画『キン肉マン』でスーパーフェニックスとビッグボディが王位争奪編で戦ったのが会津若松城なんですよね

『次鋒レオパルドンいきます!  ギャーッ!』のネタはここで起きた

 

磐梯山と市の木「アカマツ」を描いた会津若松のマンホール

 

昨夜通った道、日中は全く怖くないのー

会津若松城って言わないのかな、鶴ヶ城として認知されてるようだ

氏郷の幼名は鶴千代、そこから鶴ヶ城かな?

 

これ、昨夜は西出丸の駐車場の近くの階段上がっても城を見れなかったけどこの梅坂を上がってたらライトアップされてたのかもしれないな(そこまで入ってよいかはわからないけど)

 

今日の天気は寒くも暑くもない気候でどこまでも歩けそう(これ雨のフラグ)

綾瀬はるかさんて達筆なんですね、さすが芸能人

 

城に到着、かなり観光客おりました!

 

赤べこまたおった!

 

入口で聞いたら撮影OKとのことであんがとない!

鶴千代から連想しますよね、鶴ヶ城という同名の城は全国に他にたくさんあったらしく会津若松城とも呼ぶようです

これだけの城主が入れ替わりながらもやはり蒲生氏郷ですよね、しかし氏郷は40歳、後継ぎの子も30歳、その子は26歳で病没。嗣子が無く断絶となった。

賤ヶ岳で名を上げた加藤嘉明を挟んで1643年家康の孫で秀忠の子の保科正之が入封、会津松平の祖となり子の正容から松平姓と葵の紋を与えられ徳川親藩に組み入れて以後、幕末まで400年一貫して幕府を支え続けていきます(それが悲劇をもたらしますが。。)

城内は復元した城の内部というよりミュージアム

 

まずは葦名氏の始祖、佐原義連座像

ここから兜

伊達政宗の有名な三日月の兜ですね、会津を支配してた時にこれを製作した甲冑師を連れてくとこは政宗らしい

 

蒲生氏郷ナマズをモチーフにしたこれまた有名な兜ですね

 

これも有名な上杉景勝の卍兜、卍の下に猪(摩利支天)が彫られた大型の前立ても注目

1598年〜1601年と上杉氏が会津にいたのは3年(西軍について負けたから出ていかざるを得なかったからね)、しかし会津はビッグネームが続きますねぇ

 

ラスト、加藤嘉明の兜、イカじゃない兜

両側から立ててるこれは威毛

会津藩初代藩主・保科正之は1668年、会津藩憲法ともいえるこの家訓を制定しました。

家訓の第1条は「徳川家に忠勤、忠義を尽くさなければならない」という正之の気持ちが書かれていて、将軍家へ後世の子孫まで絶対的な忠誠を誓わせています。200年経っても会津藩、そして新島八重もこの家訓を学んだけです。

まぁ正之は会津松平家の家祖ですからね

 

その会津松平家、第9代藩主で最後の会津藩藩主でもある京都守護職松平容保。朝廷から最も信任厚く、新選組を預かり、公武合体を推し進めた

 

この階は見入ってしまった

戊辰戦争の開戦から開城までの出来事を追体験できる壁面展示、またプロジェクションマッピングで戦争当時の様子を表現するジオラマ模型が展示されてました。

1868年の戊辰戦争は、国内を二分する内戦でした、新政府軍と旧幕臣会津藩らを中心とする旧幕府軍による武力衝突は、江戸城無血開城後も関東・東北・北陸へと拡大します

薩長同盟ー第二次長州征伐ー大政奉還と状況が暗転していく会津藩、この1868年は受難な年となりました。1月戊辰戦争の初戦である鳥羽・伏見の戦いで新政府軍(薩長軍)から官軍の旗印である錦の御旗が掲げられ、会津藩は官軍から賊軍へ。旧幕府軍となりました。

その後、各地で敗戦して4月江戸城が開城し、いよいよ苦しくなった会津藩薩摩藩江戸藩邸を焼き払って朝敵とみなされた庄内藩のこの標的2藩を助けるため仙台藩米沢藩ら東北と北越諸藩が集まり奥羽列藩同盟を白石城で結成

5月奥羽列藩同盟軍と新政府軍の戦いは白河口の戦いから始まった

良い勉強になりました。

二本松城の落城、二本松藩の兵力は白河の攻防に出兵していて手薄なところに兵力を分散した新政府軍が攻城してきて子供たちまでもが出陣した総力戦だったんですね

模型と動画でさらにわかりやすく紹介されてました、会津藩旧幕府軍の認識だから新政府軍も本気度が高く徹底的に叩かないと終結に向かわないとわかってましたね

 

白虎隊も含め組織体制が詳しくパネル展示されてます

白虎隊 17、18歳で編成

朱雀隊 18歳から35歳までの主力実戦部隊

青龍隊 36歳から49歳までの国境守備隊

玄武隊 50歳以上の予備部隊

このほか幼少組(白虎隊に年齢が満たない14、15の者)や隠居組(50歳以上にして、玄武隊に加わっていない者)などもいてほぼ総力戦だということがわかる。白虎隊も二本松の少年隊と同じく悲劇過ぎて言葉が出ないです

 

生き残った少年隊士(気持ちわかるわ)

 

白虎隊が自刃を遂げた飯盛山

実質会津藩No.2の名家老 西郷頼母

偶然にも西郷隆盛とは先祖が同じ九州の同族、敵味方に分かれ戊辰戦争を戦った

 

こんな武人がいたのか。。めちゃくちゃ強そう

 

 

新島八重もパネル紹介ありました、父は会津藩の砲術師範、会津若松城の籠城戦では断髪し女スナイパーとして男に混じってあの大山巌を重傷に負わせた逸話を持つ幕末のジャンヌ・ダルクなんだよな

新島八重のお兄ちゃん 山本覚馬

八重の旦那、新島襄とともに同志社を設立、京都復興に尽力しました

 

天守から見える眺望

飯盛山

こちらは向羽黒山

 

赤べこのキャラメル缶買いました、偶然にもこの赤い缶眺めてたら非常ベルが鳴り響いて5分ほど売店や職員の方々があせって走り回る瞬間も。

(誤作動なのか何でもなかったようです)

出るとこにスタンプ台あります

 

会津若松城よかった、しかし天気がちょっと怪しいかな

本丸跡は大きな広場になってました(現在の城は復元天守

 

 

ここ行ってみるか

千利休の息子の少庵が、蒲生氏郷公によって会津に匿われている際に建てたと伝わる茶室

花の慶次に登場した道安の名が!

 

茶室って狭いんですよね

モワッとした暑さだったので冷えた茶に。

 

特濃抹茶のソフトクリーム🍦、その名の通りめちゃくちゃ特濃抹茶でした!

 

会津藩の提灯、時代劇でお馴染みです

 

ついでなので、二の丸も。

白虎隊の少年隊士の生家跡とかもあるんですね

 

城の外に出て三の丸目指します

 

三の丸の通りに新島八重像がありました

大河『八重の桜』はまだ見てないのですが、主人公が幕末なら旧幕府軍側、戦国なら西軍側は思い切り敗者だからなぁ、敗戦に次ぐ敗戦と味方の戦死ラッシュの終盤は1話から見てると涙腺を緩ませてきますからね。

実は会津若松城に行く途中、たまたま発見した新島八重の生誕地。会津で生まれ育ち戊辰戦争会津若松城にて新政府軍を迎え撃ち孤立無援の中、1ヶ月にも及ぶ籠城戦をして降伏後、新島襄と結婚。赤十字社員となり日清、日露戦争では従軍看護婦として帯同。幕末のジャンヌ・ダルクから日本のナイチンゲールとかそんな人の人生なら大河見てみたくもなりますわ。

綾瀬はるかはドラマ『JIN』でも医者の助手役ドハマりでしたからね。

サブスクNHKオンデマンド入会不可避だ

よく来らったなし 八重らんしょ

意味全くわからないが歓迎ってことですよね!

 

いや〜会津若松城よかった、まだ会津散策したい

 

あんがとない!!

 

会津若松城

・スタンプ設置場所

会津若松城天守売店出入り口

・交通アクセス

JR磐越西線 会津若松駅から会津バス鶴ヶ城まわりで鶴ヶ城北口下車、徒歩約3分

会津若松駅からは徒歩39分