20年ぶり新紙幣!
7月3日に一万円、五千円、千円の3券種が改刷しましたね、ゲットしましたか!?
すでにオークションで北里柴三郎の千円紙幣が2、3倍で転売出品されてます、転売ダメっすよ!!
っっってことで日本を代表する細菌学者、野口英世像(上野公園にもありますけどもせっかく来たので)
ここもともと予定してなくて新紙幣というタイムリーなタイミングに福島のホテル滞在中しょっちゅう新紙幣のニュースがやってて野口英世が出てきたため調べたら近いので行ってみることにしました。
野口英世は2004年11月から発行開始した今もおなじみの千円札ですね、五千円、一万円札に比べ庶民の財布には常に入ってる紙幣なので千円札は一番馴染み深いです。
会津若松城登城後、山形福島の旅も残すは2城、会津若松を離れる前にバスの発車時間調整のため市内散策しながら野口英世に浸る
最初に調べて向かったのが胸像でした。
ここはひっそりと施設内にありました、よくわかりませんでした。野口英世の銅像って全国はおろか世界にもたくさんあるみたいですからね
そして野口英世が医師なのは知ってますが正直、詳しくは知りません。ただ30年近く前の少年マガジンで野口英世物語が漫画連載していてまだ赤ん坊の頃に囲炉裏に落ちて左手に大やけど(漫画では指がくっついてた)をしてしまい、貧困と左手の不自由というハンディキャップを背負い、この左手では百姓は無理だから勉強して学業で身を立てようとしたこと、障害により学校でイジメを受けていた描写や母の愛情、学校の先生が私財を投げ売って野口英世の学費を払ったなど、まだ何者になってない序盤の物語は覚えていますけど。。
そして、ここから移動中に雨
野口英世青春通り
もともとは福島県の猪苗代町で生まれで会津若松にはこの左手の手術を受けたり、英語を勉強したり初恋の人に出逢ったりとまさに青春の地が会津若松だったようです。
この通りは全体的にアンティーク調な街並みで明治っぽさが感じとれます
屋台村やキャンドルナイト、B級グルメ市など、数々のイベント会場となってきた野口英世青春広場。野口英世像が建ち、飲食店やお土産店が入っています。しかし天気良くない、まぁ昨日じゃなくてよかったですけども。
戊辰戦争終結が1869年、その7年後に生まれる、もし20年早く生まれていれば少年隊士として幕府軍のため戦って命を落としていたかもしれない。
そう考えると亡くなった東北の少年隊士たちの中に未来の偉人がいたのかもしれないと思うと胸が痛む
ハイカラさん乗りたかったかもな〜
野口英世が大火傷をおった左手を手術した會陽医院跡で、明治17年に建築。英世が書生となり医学の勉強をした場所です。現在は1階がアンティークなカフェ、2階が野口英世青春館となっています。(時間がなかったので次回訪れたら必ずや)
個人的に昭和なつかし館も気になりました、次回訪れたら行きたい
そして会津若松駅へ
今夜は郡山で宿泊します、この駅大きいんですね
なんだこれ!
ここにも戊辰戦争の爪痕が残る
郡山といえば郡山ブラック、ブラックラーメンいっときましょ!郡山駅前はヤーさんぽい人たちや若者も多く夜の賑わいがすごかった。
実際ヤーさんに『お兄ちゃん遊んでる!?』と声かけられ、逃げるようにここのラーメン屋に行くと告げたら、『ここのラーメン美味いよ!』と地元のヤーさんぽい人にお墨付きをもらっての入店
ちなみに福島三大ラーメンなるものがあり、喜多方ラーメン、白河ラーメン、郡山ブラックと福島では古くから愛されたラーメンがある模様
東京は全国の食が集合してるから探せばあるのだろうけど、やっぱ現地で食べる良さが旅行にはありますよね。郡山ブラックも濃い醤油でビールに合い、自身新たな味覚の発見となった。
野口英世像
・交通アクセス
JR会津若松駅から徒歩28分
JR七日町駅から徒歩25分
まちなか周遊バス“ハイカラさん”に乗車
「野口英世青春広場前」下車徒歩10分
野口英世青春通り沿い