2日目は要害山城から
「要害」という単語を調べると
地勢がけわしく、敵を防ぐのに適している所。とある
要害山城
1520年から62年。信虎、信玄、勝頼の三代にわたって武田氏が支配した緊急時に立て籠もる詰め城
登城前からこれは気合いの登城だと思ってました、その名の通りまさに要害でしたね。
甲府駅到着、南口にさっそくいました
武田信玄公像です。軍配持って床几にどっしり座ってるイメージそのままのお屋形様です。
もう地元のシンボルですね、待ち合わせとかハチ公やイケフクロウのように『10時に信玄公の前で〜』って会話があるんでしょうね。
武田の衰退とリンクするからあの事件は忘れたいところ。。もちろん主役の内野聖陽も味が出ていた。あと千葉真一と竜雷太、永島敏行も。
村上義清戦の上田原の戦いで信玄は変わった。
そしてGACKT。信長の野望で女謙信(上杉謙信女性説)はGACKT似だった。風林火山は今川義元役の谷原章介といいこれまでのイメージを変える大河だった。
あー久々に風林火山見たくなってきたなー。
北口には信玄の父、信虎がいました。
『風林火山』では山本勘助(内野聖陽)の妻を斬り、恨みを買って最終的に信玄に追放されます、仲代達矢が演じてました。
あと最近見たのが
山梨県の「こうふ開府500年」記念事業として製作された映画『信虎』
信玄ではなく信虎にスポットなのか!と月額してるDMM動画で見ました。
47歳で息子の信玄によって追放された武田信虎(寺田農)が信玄の死後、80歳にして隠居していた京から甲斐に帰国し、後継者武田勝頼と対立しつつも武田家存続のために奔走する話
この銅像の見た目のまま寺田農が演じてましたね。今回登城の要害山城を築城したのは信虎です。
毎回、銅像に立ち会う度、見てきたドラマや映画と重なって思いにふけるんですよね。この親子の銅像前で30分以上を要しました。
よし、行くぞ😀
要害山城へは甲府駅北口から1日に3本しかないバスで行くしかない、またそれも手前の積翠寺までしか行かないので積翠寺からはウォーキングとなる。
さらに言うと3本のバスは7時台、11時台、18時台のみ(帰りも同時間)となるので行きか帰りはバスの選択は捨てるしかない
私は行きに利用することにして11時台のバスで積翠寺へ向かった(坂道は下りのほうがラクなのとそのまま武田氏館も観光するため)
登城口に到着、駐車場もありそこそこ人がいたな
積翠寺丸山に要害山城があります
ストレッチして虫除けスプレー振りまいて
軍手とマスク装着していざ登城
山城はスニーカーでは厳しいとわかったので今回からトレッキングシューズを事前に購入。
この1回のためデカリュックを重くしてまで持参してきました、これは傾斜道でもすべらんなぁ〜!
あとよく見る蛍光色の尻尾のヤモリはあれ夜だと光るんですかねー。
赤松は阪神にいた俊足巧打のレッドパイン⚾
広島いってスパイダーマン(ホームランをスパイダーキャッチしたのは有名)として活躍しましたねー。
中学時代、野球部で倖田來未と二遊間を組んでたエピソードの持ち主でもある。
(このアカマツと関係なくてすみません)
この倒木たちよ。。まさに要害だなぁ
3枚目なんてまたぐ時、右に落ちたら終わる!
ひたすらTHE 登山ですね
山があるのに山梨県🗻
険峻にピッタリな山城だよ
山頂、到着しました。
諸説ありますが信玄生誕地でもあるようです。ここで生まれた信玄の産湯を汲んだと伝えられる井戸が城の西南麓の積翠寺にあります
勝頼が新府城(韮崎市)へ移るまでの62年間、武田氏館(躑躅ヶ崎館)とともに武田氏の領国支配の本拠地となった山城
武田氏滅亡後も修築、再整備されましたが、1600年に廃城
他には何もない感じかなー、保存状態が良いといわれる遺構はちょっとよくわからぬ。
下山します
あんなに入口の駐車場に車あったのに誰ともすれ違わなかった
あとはもうひたすら
この長い長い下り坂を〜
ゆっくり〜ゆっくり〜下ってく〜♪
武田氏館に向かう途中、ここの自販機でモンスター購入。ハッピーでした★
スタンプはここ藤村記念館
スタッフの方が優しく声をかけてくださり、要害山城の縄張り図もいただきました。
このまま静寂から喧騒へ。武田氏館(躑躅ヶ崎館)に向かいます。
要害山城
・スタンプ設置場所
午前9時~午後5時(月曜日休館)
・交通アクセス
甲府駅北口から積翠寺行きバスで15分+徒歩10分で登城口(駐車場あり)