第20登城 新府城(2024.4/29続日本名城127・山梨県)

精力的に動いた4月ラストは三泊四日の山梨、甲府旅☆

山登り、ウォーキング、スタンプラリーに費やしたほぼ東京不在の1ヶ月。

とりあえず甲府旅行でラストです。

 

新府城

山梨は武田氏ですね

武田氏、最後の城から開始

 

甲府までは東京からすぐなので夜行はなく昼行便で。2時間ちょっとの道のり。

 

前日、Jリーグの試合観戦で名古屋グランパスファン(名古屋サポ)に連れられ埼スタに行って13キロ程度のウォーキング。

この名古屋サポも相当なウォーキングキチで単日のウォーキング距離は私の川越ウォーキングを越えるほどの健脚っぷり。私の城巡り趣味のように年間二桁を越えるサッカー観戦を全国巡ってついでに街の散策してるので(これを20年以上?)筋金入りのサポーター&ウォーキングマンです。

Jリーグファンならわかる人にはわかると思いますが、いわゆるゴール裏で応援する人です。

歴史好きでもあるので地元名古屋(と岐阜)をいつかアテンドしてもらう予定です。

試合は浦和レッズに惜敗してましたが個人的にはレッズサポのブーイングや大応援を初めて生で見れてよかった(Jリーグ創成期に駒場に家族で行ってたようだがレッズサポの印象に特別な記憶はない)

 

疲れもありぐっすり寝れたので朝発といえど全回復でバスタ新宿

 

バスタ新宿甲府

(ホテルはその隣駅の竜王駅)

荷物をホテルに預け、竜王駅から韮崎駅

 

 

中田英寿を生んだ韮崎⚽

 

今回は初日のみレンタサイクルで。

 

滋賀旅行で7年ぶりに自転車乗って以来、好きになってしまいました。東京戻ったら買おうかな?と思うほど楽しい。坂は電動のパワーで登る🚲

 

新府城向かう途中、大きな白い像が。。

平和観音像というらしく調べたら

韮崎市民と登山者の安全を祈願して建立されたものだそうで、高崎、大船の観音とで関東三観音と言われています。 とのこと

ありがとうございます、気を付けて向かいます。

 

平和観音像からの見晴らしも良かったですね

 

まずは民俗資料館(観覧無料)へ

ドラマのロケ地だった場所みたいですね

まずはここでスタンプゲット♪

 

埴輪や土器もありました、あと黒電話があったけどこれは電話の歴史かな

 

そして新府城跡に到着

駐車場に自転車止めてアクシデント

カギが見当たらず、紛失してしまったようだ

約1時間半、必死の捜索で発見👀

これは焦りました。無事解決できて本当によかった。

 

気を取り直して登ります

 

いきなり249段の石段

ここ大河『真田丸』第一話で武田勝頼穴山梅雪真田昌幸が登ってたとこ!

 

着きました、この日は涼しくていいですね

 

ちなみに石段以外に緩やかな参道から登城するコースもある、石段は一切使わず女性でも気軽に登れるため乙女坂と呼ぶようだ

で、さっきの『真田丸』で石段を3人が登ってるところを信繁、信幸、矢沢頼幸が見つけて伺ってた場所がこの参道です。

 

新府城は短命の城で武田氏が滅亡する前年の1581年に武田勝頼によって築城

武田信玄の後を継いだ勝頼は信玄時代の本拠地、躑躅ヶ崎館からここに移す予定だったものの城下町が完成せず、信長の侵攻により城に火を放ち逃亡した未完の城です。

石垣を用いずに土塁と堀を重ねた武田流築城術だったようですが『真田丸』では昌幸が『新府は名城になる予定だったがまだ盤石とは言えない』と言ったように再起は難しかった。

 

武田勝頼公霊社の石祠

両側に並ぶのは武田十四将霊碑が祀られています、有名な二十四将ではなく十四人。これすべて長篠の戦いの戦死者です。

『どうする家康』でも長篠の戦いはまさに一方的な殺戮、松潤家康も言葉を失ってましたね。

 

個人的にはこの土屋昌次の長篠での壮絶な討ち死にと共に弟の土屋昌恒が勝頼の最期の天目山で片手千人斬りの異名をとって奮戦して死んだこの兄弟が好きです。状況が悪化して木曽、小笠原、穴山、小山田らが裏切っても武田氏への忠義を尽くし最後まで命運を共にしたのは武士の鑑と思います。

 

よし、ホテルに向かおう

 

帰りの道中で富士山の存在に気付きました💦

いや〜よく見える🗻

 

行きでは気づかなかったけどこの平和観音像は富士山の方を見てるんですね、それにしても素晴らしい景色でしたよ。

 

新府城

・スタンプ設置場所

韮崎市民俗資料館(9:00~16:30)

【休館日】月曜日、木曜日の午前中

・交通アクセス

中央本線新府駅より徒歩15分

私は民俗資料館でスタンプ押印もあったので1つ前の韮崎駅で下車してレンタサイクル10分で着きました