要害山城から坂道をコロコロと下り、武田氏館へ
武田氏館(躑躅ヶ崎館)
現・武田神社
信長の野望やってると武田氏館より躑躅ヶ崎館のほうが親しみがあります。甲斐信濃の守護職でお屋形様ですしね
武田氏館行く途中、横田高松屋敷跡があった!
墓や像ではなく屋敷跡かい!と思いましたが信虎と信玄の二代に仕えた猛将の屋敷ですから発見出来て嬉しい
大河『風林火山』のキャストを()に
信玄(市川猿之助)は二度、北信濃の大名の村上義清(永島敏行)に敗れてますが
一度目の敗北は1548年上田原の戦い
この戦死は戦国史好きから、どう表現するのかと思ってましたが涙なくして語れないってやつです。とにかく見てほしいです。
ちなみに千葉真一と竜雷太は映画『戦国自衛隊』でも共演してますね、で、この映画ではタイムスリップした自衛隊が上杉軍と手を組み武田軍と戦うわけですから何かの縁。
(それ言うとその縁は千葉真一の息子が『どうする家康』で武田勝頼を演じていくわけですが。)
(戦国自衛隊での千葉真一は一騎駆けして本陣に突っ込み信玄の首を取る(これを風林火山では竜雷太が永島敏行にやりました、失敗して捕縛したけど)、竜雷太は機関銃の弾がなくなりピストル一つとなってしまい武田騎馬隊に追われ戦場真っ只中、草むらに逃げ込んだら名も無い少年兵役の薬師丸ひろ子と出くわし相討ちする
竜雷太の死ぬ直前の『まだ子供じゃないか。。せ、戦国時代。。』は名シーン)
戦国自衛隊は私の好きな映画トップ5に入る名作中の名作だと思ってます。いわゆる今、流行ってる異世界転生ものや、なろう系の先駆けですね。
ジョー山中や隊員として出演してる高橋研の歌も戦国時代にタイムスリップして戸惑う焦燥感や中盤から躍動していく自衛隊員たちの世界観にピッタリの漢の選曲!ここぞの場面で流れてきます!
キャッチコピーの『歴史は俺たちに何をさせようとしているのか』
この発想と完成度でもう半世紀近く前の映画とは思えない、高度経済成長期間もない日本が元気だった1979年制作のこの合戦シーンは大河でも今後作れないでしょう。角川全盛期!
いやー
甲府だけに興奮して話が脱線しました💦
信玄二度目の敗北はこれまた村上義清戦で1550年砥石崩れで戦死したのがこの横田高松です。
しかし『風林火山』では出ないのです😢
たしかに信玄より20歳くらい年上の山本勘助が主役で武田配下の武将ほとんどが信虎時代からいるので若き信玄(晴信)を諌める重臣役がかぶり過ぎるのもありますよね。しかも上野原が劇的な敗北だったしこの演出、二度は不要かと判断されたな。
まぁそのぶん、幸村のおじいちゃんの真田幸隆(佐々木蔵之介)の出演シーンが多く、主役の山本勘助(内野聖陽)の友人&ライバル的な感じで序盤から出てたし調略でこの砥石城攻略してくれたからいいか。。
で!
要害山城から下ってきたので大手門から入城
武田氏館は別名、躑躅ヶ崎館であり、現在は武田神社となってます
強力な勝運、金運などの神様が祀られてます
参拝客多かった、ん〜やっぱり正門から入りたいな。
ということで、正門から。
武田氏館は1519年に武田信虎が築き、信虎、信玄、勝頼の武田氏三代が居住し、政務を執り行った館の中心で武田氏の本拠
背後に詰め城として要害山城を築き四方を水掘りと土塁で固め、周囲に曲輪を配置し、それを水掘りや空掘りでつなぎ防備を固めている
勝頼が新府城へ移転する際に一時破却されましたが、武田氏滅亡後に甲斐国の統治拠点として織田・徳川・豊臣氏の家臣団によって再利用されました
こう見ると甲斐国統一してるし武田氏館も要害山城も築いた信虎って有能だよなー
信虎追放の理由に信虎は信玄ではなく信玄の弟の信繁に家督を継がせようとしてた説もあり、信玄を評価出来なかったのは痛い
そりゃ甲斐に戻りたかったよね、映画『信虎』でも最晩年の年寄りのくせに口がたつわ、たつわで信長との決戦に挑む孫の勝頼に口出しまくってた、悪逆無道と言われながらも、追放されながらも武田家は大事なんだな
↑
ちなみに後ろ振り返ると道がどこまでも続いてました、これは良い景色でした
鳥居の手前に喫煙所あるの斬新すぎる
吸うならここで吸い溜めしてから入れってことか。ただここで吸ってたら撮影者には邪魔だろうな〜。。
そして
立派な神社です、元旦は参拝客5万人が来るらしい
姫の井戸は信玄公の娘が誕生した時、産湯として使ったことから名付けられたそうです
武田水琴窟は竹筒に耳をあてましたが無音でしたね
これトイレですよ、驚きましたよ
吉田義輝顕彰碑とあったがこの石碑はちょっとわからなかった、でも石碑でかかった
甲陽武能殿
実際に能楽を始め神楽また演武などイベントの際には使われてる舞台
現在進行で発掘調査もしてるんですね
なぜか武田神社の中にキティちゃん像が?
調べてみるとキティちゃんで有名な「サンリオ」の創業者は山梨県出身
サンリオの社名の由来は、山梨県出身の創業者が『山梨の王になりたい』との意味で音読みで『山梨王(サンリオ)』と名付けたと言われる説があるようです、あくまでも説。
マジか!?爆進王やオペラ王みたい。
つまり競走馬ならサンリオーですね。
スタンプは神社内、宝物殿の中の受付の横です
中は有料ですが、撮影NGなのと時間がなく受付の横でスタンプのみ押印、すんません😅
入口の信玄公像はかっこよかったですね
背景の風林火山の文字も良し。これだけは撮りました
武田神社の目の前のお土産屋
バスの時間調整も兼ねて小休憩、きな粉と黒蜜の信玄アイスはとりあえずマストで。
(信玄餅は幼少期に親戚などの土産で一生分は食べ尽くしたため遠慮した)
甲府駅着
今日は天気良いので快晴時の信玄公像をパシャリ
「疾きこと風のごとく、徐かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、動かざること山のごとし」
風林火山の軍旗は敵軍を戦慄させたことでしょう
信玄は織田・徳川連合軍の前に立ちはだかった強敵で信長と袂を分かった足利義昭が発した信長包囲網に参加、上洛のため進軍した西上作戦ですね
その過程で三方ヶ原で激突した徳川軍を粉砕した武田軍の強さは義昭もさぞ待ちわびたことでしょう。しかし信玄は進軍の最中に病死、武田軍は包囲網から撤退するのでした
土地柄、内陸部で恵まれてなかった武田家が北の上杉家、南の今川、北条家と対等に対峙できたのは信玄の統治手腕によるものが大きい
最後に甲府駅南口にて信玄公像の前の信号渡ったとこにある『ご当地マンホール』
最近、始めた【信長の野望・出陣】アプリのため甲府駅から竜王駅までウォーキングする
2日目も疲れた、ホテルは素泊まりなのでまさに寝るためだけにある
武田氏館(躑躅ヶ崎館)
・スタンプ設置場所
武田神社宝物殿(入口受付にあります)
武田神社神府集札授与所(ここあったか微妙です)
・交通アクセス
甲府駅北口からバスで10分