仙台育英が優勝して深紅の優勝旗が白河の関を越えたのが2年前の2022年
戦前の甲子園大会第1回大会(1915年)の秋田中が準優勝ですから、以降1世紀に渡り可能性のあった有力校が挑みましたが幾度もこの関を越えることが出来ずに涙を飲みました
いきなり高校野球ネタになり恐縮ですが、私の世代近辺ですと2004年の東北高校です、このチームは98横浜、PL学園、01日大三、03広陵、04済美、05大阪桐蔭、06早実、帝京とともに忘れられない。エースはダルビッシュ有、サイドハンドのメガネッシュ真壁、左腕采尾、捕手森はめちゃくちゃイケメンでね。リードオフマン家弓に3番大沼4番横田に2年の名手加藤、黄金ルーキー成田など(全員パワプロのサクセスで作りました)隙きが見当たらない超高校級メンバーを揃え圧倒的な強さで宮城県大会を優勝して甲子園に再び現れた時(03夏準優勝、04春ベスト8)、この夏は東北高校が絶対優勝すると思いました。
雨中の3回戦千葉経大付属戦で負けてしまったんですよね、サードゴロを横田が雨でぬかるみファンブルして決勝点を与えてしまい、で最後の裏の攻撃ラストバッターはダルビッシュで見送り三振(多分本人的にはボールだったんじゃないかな)しかしまぁ晴れやかな笑顔でした、こんなに雨が似合う高校生いないでしょ!と。この年私は東東京代表・修徳を応援しててこちらも千葉経大付属に負けてます。修徳、千葉経大付属ともエースがプロ入りしてるのでレベルは高かった。ちなみにこの2004年は北海道の駒大苫小牧(まだ1年生のマーくんアルプスから応援です)が優勝して白河関どころか、津軽海峡を越えてしまったので東北高校が優勝すると予想していた私は東北高校が負けたことと共に2度ビックリ!前評判は決して高くなく、なんならダークホースだったような。
翌年以降は「北の王者」の異名で近年の大阪桐蔭のような風格になった気がします
98〜08あたりまでは毎年地方大会から追ってました、このへんの時代の高校野球好きで集まって飲みたいくらい。まぁその後は仕事が多忙になり今やニュースで見るくらいになってしまったが。
話はそれましたが、白河の関。歴史背景はわかりませんが高校野球界にとっては堅固な巨城と言えたでしょう
白河関跡
みちのくの玄関口で想いを描く、歌枕の関
この日は私の趣味が吸い寄せられてます(笑)
新白河駅の目の前にWINSあるんですね
平日なので閉まってましたが土日はこれ人で溢れそう。私はネット投票で購入するようになってWINSさえも行く頻度激減しましたね、記念馬券として欲しい時だけになっちゃいました。(そんな競馬もイクイノックス引退と城巡り熱により今年から離れてます)
松尾芭蕉の銅像が立ってます、目の前はバスターミナルで帰る時の夜行バス乗り場もありました
また変わった切符。このバス、途中で停留所とは別で乗客が『降ります!』と言ったらその度バスが止まって下車するシステム(これいいなぁ〜)
後部座席にいた女子中学生たちが1人1人、突如後ろから大きな声で言うので油断してると驚きます
白河の関到着、ここかなり駅から遠いんですね
栃木県と福島県の県境です
奥州三古関の一つに数えられる白河関は奈良時代から平安時代頃に機能していた陸奥国と下野国の国境に設けられた関で、人や物資の往来を取り締まる検問所の機能を果たしていたと考えられます。10世紀に入り、律令制(法律による国の運営)の衰退とともに関としての機能は失われていきました
その後、白河関の場所は不明になっていましたが、白河藩主松平定信は絵画や記録、伝承から考証を行い1800年、現在地が白河関跡であると断定してこの古関蹟の碑を建てました
公園もあるようなのであとで行くか
1180年、源義経が兄・頼朝の挙兵を知り鎌倉に向かう道中に詣で、境内の松に矢を立て勝利を祈願したと伝わり、祈願をした「矢立の松」が、小さな根元のみの姿となって残っています
白河神社
135年、白河国造命と天太玉命を奉祀し、成務天皇の勅命により鎮座しました。1615年伊達政宗が社殿を改築奉納したといわれ、本殿の棟紋に伊達家の九曜星、縦三引きの紋が刻まれています。
伊達政宗はこんなとこにも来てたのか。
私見落としまくりで白河関跡はここで見終えてしまいました、奥の細道白河の関の碑、松尾芭蕉の像があったようです
また、階段途中にあったこのうねりにうねった木を従二位の杉と勘違いしました。生で樹齢800年の杉の巨木見たかった😣(しかしこれはこれで何なんだろうか)
気を取り直して隣接してる白河関の森公園へ
なんというか、無人過ぎて。。
悪天候と平日だし子供は学校ですかね
白河の関蹟とともに人っ子一人いませんでした
白河と犬のワン!で、「しらかわん」というゆるキャラのようです
白河の関から帰りのバスに乗り途中で下車、数分歩いて南湖公園へ
1801年に12代白河藩主松平定信(楽翁公)が身分の差を超えて誰もが憩える「士民共楽」の理念のもと築造した、日本最古といわれる公園
湖畔には約800本のソメイヨシノやツツジ・松・楓などがあり、春の桜・初夏の新緑・秋の紅葉・冬の雪景色と那須連山のコントラストが美しく、四季折々の景観が楽しめます
この木すごいな、角度30度くらいじゃない
園内を一周してる間に等間隔で湖を囲むように南湖碑(和歌)がたくさん立てられてました
暗くなり、バスもないので歩いて新白河駅へ向かいます。途中コンビニイートインで充電
白河口の戦いは城のみならず、城下町でも激しい戦いが繰り広げられました。約100日にも及ぶ激戦でしたから多くの無関係な犠牲者も出たことでしょう、現在は稲荷山公園というらしい。
もう真っ暗でした、フラッシュ使用でこれ。まだ20時くらいだと思いますが住宅街は外灯がなく。。
奥に白河口の戦いの戦死者の慰霊碑があり肉眼では見えますがカメラだと真っ暗🌚🌚🌚
↑本来はこのような戦死墓の慰霊碑があります
戦後、白河の人々は両軍の戦死者を分け隔てることなく手厚く弔い、哀悼の気持ちを込めた碑を建て、今も香華を手向け続けています
新白河駅着、新幹線が止まる停車駅のためソファにはそこそこ人がいます。
だるまめっちゃある!!白河だるまは寛政の改革で有名な松平定信公の「市民の生活をより元気に」という想いから幸運をもたらす縁起物として誕生とのこと。そういえば私、白河だるまバーガー食べましたね
そのあと駅近くのマックで時間を潰し
25時の夜行バスで4時間かけバスタ新宿へ
計6泊7日の山形、福島旅行(夜行含めると7/1夜から7/9朝)長かったな。。
戊辰戦争の歴史を逆からなぞるような城巡りでした。米沢城の稽照殿とか白河関の杉の木とか自身のミスで見落とした場所もあった。
また歴史をより勉強できたことで、スルーしてたにほんまつ城報館や白虎隊伝承史学館など(+昭和なつかし館も)再び訪れた際には行きたいですね
避暑地として逃避した東北でしたが思った以上に暑く、特に二本松、向羽黒山、三春の山城登城日だけ酷暑、他の日は雨という良かったのかよくわからない城巡りでした。でも山城が雨なら断念なので結果的に良かったですね!
虫が多く、体力消耗がきついのでひとまず夏の城巡りは休止予定です
紅葉シーズンに再開します
ありがとうございました
白河の関跡
・交通アクセス
JR新白河駅より、福島交通バスで約40分「白河関の森公園」下車、目の前
・交通アクセス
JR新白河駅から福島交通バスで約30分「南湖公園」下車、徒歩すぐ