国宝2城目です、名城リストと私の登城数が同じ29で偶然重なりました。
阪神タイガースファン、虎党としては井川慶の背番号ですね。あと高校時代のほうが有名だった小嶋達也か。現在も左投手の高橋が着けてます、育成から支配下目指して頑張れ!(城と関係ない)
さて、ついにきました
国宝・松本城
松本にはもともと深志城という城があり、松本城の前身であったとされています
1590年、天下統一を果たした秀吉が、関東移封した家康を警戒、監視するために石川数正・康長親子に城や城下町を整備して近世城郭としての基礎を固めた名城
起床して朝食バイキング
駅前の播隆上人という僧侶の像、存じ上げません
駅周辺のは前日に撮影しました
チェックアウト後、刹那の速さで駐車場へ
もう見えてますねー
この橋は埋橋というらしいです
どの角度から撮ってもとにかく圧倒されます
雄大で美しく、絶えず観光客が訪れるのがわかります
黒門、二の門から入城します
松本城の城主は年代によって変わり、その数は6家23人にものぼります。初代の城主は豊臣秀吉に仕えていた石川数正で、最後の城主は戸田光則。戸田家の時代は長く、明治を迎えるまでの約140年もの間、城主をつとめていました。
初代城主の石川数正のみ語ります
石川数正はもともと徳川の重臣で出奔して秀吉に降ったのは今なお謎に包まれています。
大河『どうする家康』では松重豊が演じてました。秀吉(ムロツヨシ)と外交を重ねていた数正は秀吉を魑魅魍魎のごとく化け物と比喩し殿(家康)では化け物には敵わないと進言するも血気盛んな徳川軍が聞く耳を持たなかったことで秀吉と戦わせないための裏切りであり仕方なかったような演出になってましたね。
また数正は小牧・長久手の戦いで家康優勢の戦況で家康と組んだ織田信雄を調略して戦を終結させた秀吉の寝技も目の当たりにしている。
三英傑の中でも秀吉だけは百姓からの出自で織田や徳川(松平)と違い家も家臣もなくバックボーンを持たず才覚と人たらしを武器に一代で成り上がった大名なので、そんな秀吉を不気味、計り知れない傑物、数正はまさに化け物と思わずにいられなかったのかもしれません。
ちなみに『真田丸』では真田信尹が徳川の牢屋にいながら数正を調略するという演出!信尹は上杉ー北条の一戦の際でも海津城城主(現松代城)だった高坂の息子を調略して暗殺。北条、上杉ともに兵を退かせたという、昌幸の策とはいえ見事な権謀術数ぷりでした!
さて、数正を語ったので庭園に入っていきます
本来はこのように北アルプスの帽子をかぶってますが松本城なので甲冑バージョン
もう取り憑かれたように撮ってました
城マニアではないですが、美しすぎてついつい。
中に入ると展示品の数々が。
特に火縄銃を主とした鉄砲蔵展示がよかった
当時作られた鉄砲にその構造まで紹介
階段は急勾配で、かつ一つしかないのですれ違うのも大変、最も急な階段で61度という
頭もぶつかりそうでした。
天守からの眺望、風が気持ちよすぎてこれこそが天守のある城巡りの醍醐味ですね
俯瞰して見ると戦国大名の気持ちになってこの民衆たちのためになさねば成らん(米沢藩主上杉鷹山の言葉)とさえ思えてくる
霞ヶ関にいる人たち、たまには街を見下ろして国民を見よ!
撮ってる人いたから乗っかって撮りましたが天井もこれ、わかる人には面白いのでしょうね
個人的には崩れないけど、彦根城といい国宝の天井は崩落してきそうで怖くて長くは見れない
帰りは太鼓門から退城
二の丸御殿跡
間取りごとに表示されていて歴代藩主たちが政務を行った部屋や式台など平面復元されてました
駐車場の隣にあったおせんべい屋さん
おやき買いたかったけどなかった
が、ソフトクリームはあった🍦
栗ミルクいったった、母に『また甘いもの!』と叱られるもおせんべい献上して事なきを得る
松本城かー、さすが国宝だった
城詳しくなくても見惚れるほど甘美な城でした。
長野旅、まだ続きますー。
・スタンプ設置場所
松本城、本丸庭園内にある管理事務所
・交通アクセス